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「獣」達の時代とその終焉

キリスト教聖書解釈学では、聖書の解釈は、基本聖書内の記述からするという原則を踏まえて解釈された「獣」は国家を表しており、その解釈の基礎になっているのがダニエル書7章4~7に登場する「獣」である。その上で、『「獣」達の時代』とは、聖書全般に出てくる「獣」という記述が伝える...

書き換えられた「独生女」はマッドネス(狂気)か?

そもそも「独生女」って何?


にほんブログ村で私の書いたブログが度々引用されているので、先ず冒頭で確認しておきたいことがあるのと、相も変わらずこのブログはアイロニカルな表現が多いので、気分を悪くする方も多いと思うので早めの退席をお勧めする。

先ず引用されているブログは、2019年11月21日にアップした「サヨウナラ独生女」というタイトルのブログで、その中で言いたかったのは、小山田先輩と周藤先輩を代表とした12人の方々には、是非真実で行動して欲しいということだった。それは書き換えられた「独生女」の真実を宣言していただきたい思いがあった

ところで多くの食口の方々の中には、この12人を通してイエス様の12弟子を想起した方々もおられるはずだ。澤田氏のブログには参加者の詳細な情報があり、掲載されている参加者の写真(名前入りの記念集合写真)を見れば、更にイエス様の12弟子を象徴的に強く思わされる。

イエス様の12弟子は、イスカリオテのユダがイエス様を裏切り、その代わりにマッテヤ(マティア)を入れた12人で使徒達は伝道へと歩まれた。この12人はイスラエル12部族を象徴的に表しており、原理講論では12数を整え12弟子が命をかけて復活されたイエスを信奉することにより、メシヤの霊的基台を復帰したとなっている

そこで思うのは、日本を代表する元老の方々11人にスタッフ1名を加え敢えて12人に神様は何故したのだろうか?この現象をイエス様の12弟子のストーリーに紐付けて見れば何か摂理的同時性の観が呼び起こされる。この方々にかけられた神様の願いは大きいように感じた。お父様はこれら日本の12弟子を間違いなく霊的に訪ねておられると私は確信している

その上で私が何故『書き換えられた「独生女」はマッドネス(狂気)か?』という辛辣な表現でブログを書いたかと申せば、この記事を読んでくださる皆さんには言わずもがなので詳細は割愛するが、復帰摂理を乱暴にザックリと簡単に申せば、サタンが侵入した場合必ず分立摂理が適用される。善の表示体であるアベルと悪の表示体であるカインに分立されるという法則だ。

何故分立摂理が展開されるかと言えば、神様の創造目的完成のためであり、神様が堕落しサタンが侵入した人類を救済するために善悪分立される。もっと具体的に申せば、神様は善にのみ働かれるので、堕落し中間位置に置かれた人類を善と悪、アベルとカインに分立し、メシアをアベルの基台の上に送り、降臨されたメシアを通して人類を神の血統に復活させ救うためだ。

ところが韓鶴子氏が主張している「独生女」(日本家庭連合の解説と韓鶴子氏が主張している「独生女」にはかなりの違いがあるが具体的引用は割愛し詳細に説明している他のブログに譲る)を素直に読めば、「独生女」とは初臨のイエス様、再臨のお父様が出来なかったことをなすために、神様が人類の堕落直後から準備した女メシアであり王の王だという理解になる。私達はこの誤りを放置せず、正しくお父様を証しなければ何百年後には「独生女」として降臨された韓鶴子氏こそがメシアであり、お父様はその基台を作った預言者程度の評価になりかねないからだ。

そもそも韓鶴子氏は、2014年10月27日世界指導者特別会議で「私を教育した人は誰もいません独生子独生女は同等です独生子が独生女を教育したとは言えません」と言っており、これもこのまま素直に受け取れば、そもそも韓鶴子氏が主張している「独生女」は、ご自身が「独生子」とは関係なく探し出した真理であることを主張したともとれる。

その上で問題を2点提起する。先ず日本家庭連合は韓鶴子氏の主張を教会員に正しく伝えていない。韓国家庭連合は良く分からないが、日本においての「独生女」の定義はお父様のみ言に根拠を置いている。これだと韓鶴子氏の主張する「独生女」と、お父様が語られた「独生女」との間に齟齬が生じてしまっている。既に多くの混乱を生んでいる原因になっているので、はっきりと区別しその違いを明確にする必要がある。

解決方法としては、教会員は厳しい情報統制と同調圧力によって、自らアベルに忖度し自己規制を自らに課しているので総じて情弱であるため、教会組織が積極的に本来の宗教の姿に立ち返り、正しく教えを教育する。また教会員は教会組織依存が強いため、韓鶴子氏が主張している「独生女」のオリジナルはお父様だという教会組織の主張を無邪気に何も疑わず信じている。なので違いを明確にし丁寧に分かりやすく説明することだ。

また独生女を違う名称に変更するのはどうだろうか?韓鶴子氏にふさわしい可愛らしく親しみやすい名前を教会員に広く公募し、そうすると教会組織と教会員の親密な交流が持てて、献金も沢山集まり一挙両得の解決策になるのでは?いずれにしてもこのまま放置しているとすべて暴き出された時、韓鶴子氏は「独生女」を書き換えた張本人として歴史に記録され、神様の恨みになりかねない。早急な対応が必要だ。

問題の2点目は、そもそも書き換えられた「独生女」って何?ということだ。先ほど来指摘している書き換えられた「独生女」を幼子のような心で素直にそのまま読めば、メシア的存在に読み取れる。ということはイエス様お父様と引き継がれてきた摂理とは別に、神様は初臨の摂理が出発したアダムの家庭の摂理と同時に女メシアを降臨させる摂理を復帰摂理の背後でパラレルに展開していたことになるのか?若しくは入れ子構造にでもなっているのか?例えばモーセを中心とする復帰摂理のように

もし仮にこれが真理であったとするならば、女メシアの降臨を示す聖書の記述が一体どこにあるというのか。アモス書3:7には

  • まことに主なる神は
  • そのしもべである預言者にその隠れた事を
  • 示さないでは、何事もなされない。
  • アモス書3:7

と書いてある。早急に女メシアの存在を聖書の聖句を引用してどこに書いてあるのかを示す必要がある。そうすればもっと理解され受け入れられると思うが何故やらなのだろうか?それとも聖書以外に聖書に並ぶ書物があるのだろうか?あるとするならば人類はそれを今すぐ探し出さなければならない。

ユダヤキリスト教は長い期間批判と迫害に耐えてきた。家庭連合はこの先永遠に書き換えられてしまった「独生女」を守ってゆく決意はあるのだろうか?お父様の業績を歴史に残さなければならない使命が私達にはある。だからはっきりさせなければならない。曖昧は許されず、もし曖昧さや矛盾を放置したならば神様の摂理を歪めてしまう狂気の沙汰になる。但し、私は韓鶴子氏を狂気と言っているわけでは決してない、この「独生女」の意味する内容に対して敢えて狂気と言っているいるのだ

私は神様の前に献身し、公的責任分担としてそのほとんどが伝道と教育を歩んで来た。そして伝道は神様がなされる業だということを経験し実感した。間違いなく人間の業ではないという実感だ。街頭で多くの人々に声を掛けるが断られる、しかし不思議と伝道される人は何かに吸い寄せられるように来る。

当時私が所属していた青年支部では、月2回の2dayセミナーと、月1回の4dayセミナーを行い、更に2dayと4dayの前後にトレーニングを通教と入教形式で行っていた。天の恩恵に満たされた人の中には4dayセミナーで献身を決意し、トレーニングを経て実践トレーニングに移行し、献身者として神様に人生全てを捧げ生きて行く準備をしてゆく。

クリスチャンが人口の1%に満たない日本で伝道する場合、お父様を証するために必ず必要な通過儀礼がある「キリスト教化」だ。2dayセミナーの最後にイエス路程で多くの参加者が、イエス様の十字架による死によって強烈な霊的感化を受ける。私もスッタッフや講師で何度もその場に立ち会ったが、霊的に多くの恵みを経験した。

そこで改めて再度問題提起するが「独生女」って何?ということだ。お父様のみ言をしきりに引用して抗弁しているが、韓鶴子氏が主張する「独生女」って何かを簡単に説明してほしいものだ。何故なら「独生女」を証して伝道するのは、本部にいて教理を研究しているほぼゲシュタルト崩壊している律法学者や、対立するものを支流派と決めつけ、自らの正統的立場を恰もパッチワークのタペストリーを、見事な幾何学模様で統一されたペルシャジュータンだと思い込んでしまっている困った人達ではなく、真面目で素直な人の良い情弱な人達なのだから

伝道は、わけのわからない理屈をグダグダと並べ立てれば出来ると思っているのだろうか?イエス様の12弟子は何に突き動かされ殉教の道を歩んだのだろうか?聖地奪回のために騎士修道会を突き動かした力はいったい何なのだろうか?目覚めてほしい!人類はイエスキリストが血の塊を吐きながら十字架上で渾身で吐いた言葉を福音書を通して学び心から悔い改めた。そして私達食口は、お父様が興南肥料工場で命をかけて地獄を天国に変え、ために生き合う美しい領域を地獄の監獄で創られた事を学んだのではないのか。韓鶴子氏はいったい何をしたのだろうか?

み言の書き換えはマッドネス(狂気)だ!

私は、お父様ほどイエス様を愛し理解した人はいないと確信している。これは私の私見だが、聖書の中にはイエスキリストのみ言があまり書かれてはいない。そんな中でクリスチャン達は僅かなみ言を手繰り寄せ祈り求めて来た。なので信仰的には本当に強いものがあり、み言を本当に大切にして来た。それに比較し自らも含め家庭連合はお父様が余りにも多くのみ言を下賜下さり、私達は労せずこの恩恵にあずかって来た。そして下賜されたみ言は余りにも詳細で緻密であるがゆえに、信仰よりも知を優先させてしまう傾向にある。繰り返すがあくまでも私見だ。

以前独生女批判の急先鋒である永田正治氏が礼拝でお父様がご聖和された直後からみ言が改ざんされ、教団の祖である方を亡きものにした宗教はかって歴史に存在したのだろうか?と言うような趣旨の話をされていたことがあった。全く同感である。この様な狂気の沙汰を行った宗教は存在しない。それも巧みに中と外を使い分け、教団内部には情報統制を引き、外からの批判に対しては訳の分からないバレバレのレトリックを使いながら、一体この教団はどの伝統的な宗教にカテゴライズされるのだろうかと思われる教義を主張している。

書き換えられた「独生女」によって乗っ取られた手法と構造は、以前私が他のブログで指摘したサタンの「背乗り(はいのり)」と「ロンダリング」に似ている(関心のある方はこちらのリンクをクリックして確認できる「イデオロギーで人を操るサタン」)。

そこで紹介していた金融商品におけるロンダリング手法を簡単に説明すれば、良いものと悪いものをごちゃ混ぜにして債権化し、権威のある有名な格付け会社によってよい評価を与えれば、この金融商品は優良な商品に生まれ変わる。

このサタンによるロンダリング手法を使っての「独生女」の書き換えは、韓鶴子氏よりも組織の中枢部が主に主導的に行っているように推測できる。なので韓鶴子氏は本当にご自身を「独生女」だと思っているか、思いたいのではないのか

書き換えられた「独生女」ストーリーにおけるロンダリングの構造は、聖書にも預言されていない存在を、恰も人類始祖アダムとエバの堕落直後からあったかのような妄想を、お父様のみ言から同じ「独生女」と言う中身の全く違う概念を引用し書き換え、恰もお父様が語ってるが如くにロンダリングし、そこにお父様の権威を与え結果的に最高の格付けがなされる構造になっている

この書き換えられた「独生女」を通して見えてくるサタンの計画は、お父様を「背乗り(はいのり)」し、お父様がメシアだと思って信じていたら「独生女」がメシアだったという結末に導き、最終的には「独生女」の記述がない聖書を葬り去り、お父様を証している原理講論を葬り去り、お父様の膨大なみ言は「独生女」を証すだけの預言のようなものとして、その天的価値から引きずりおろし、最終的には人類の堕落などは無かった、救いなど必要ないし神様など存在しない。そして二代王様が言われる相対主義によって全てが覆われ、各自が自分を基準とした世界を実現させ人類を崩壊させるのが狙いだ。恐らくこれからの世界最終戦争は新たなフェーズでの戦いになるのではないか


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