共産主義は天使長ルーシェル(ルシファー)のイデオロギー
ジョン・メイナード・ケインズJohn Maynard Keynes
- 経済学者や政治学者の思想は、それが正しい場合も間違っている場合も、一般に考えられているよりもはるかに強力である。
- 事実世界を支配するものはそれ以外にないのである。どのような知的影響とも無縁であると自ら信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。
- 権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。
- 私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されてると思う。
- もちろん、思想の浸透ただちではなく、ある時間をおいたあとにおこなわれるものである。
- 何故なら、経済哲学および政治哲学の分野では、二十五歳ないし三十歳以後になって新しい理論の影響を受けている人は多くはなく
- したがって官僚や政治学者やさらには扇動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のではないからである。
- しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなく思想である。
一般的な共産主義の定義は、「財産等の生産手段を社会全体で共有し、平等な社会を実現するための思想、行動、運動などの形態」であり、資本主義の誤りを批判して生まれた社会主義の最終理想発展形だという主張である。共産主義の形態は複数あり、「キリスト教共産主義」「マルクス主義」日本では北一輝の天皇を中心とする「国体論及び純正社会主義」等沢山あるようだ。私も「共産主義とはこういうものだ」と端的に説明出来ない。私にしてみれば、再臨主文鮮明真のお父様(以下、愛と尊敬と親しみを込めて「お父様」と表記する)が解明された堕落論から説明したほうが如何ほど簡単であろうかと思う。しかし、これには当然のことだが「原理が真理」であることを先ず受け入れてもらわなけれ到底叶う話しではない。
共産主義はイデオロギーの一つであって、イデオロギーをWiki的に言えば「観念形態」や「思想形態」として説明されているが、「あ~そうゆうことね」と理解には殆どの方は至らないはずだ。そこで、これは自分なりの理解だが、「人が物事を規定したり判断したりする場合の基準となる尺度」ということだと整理している。深く理解は出来ないが「主義イデオロギー」の中には、何か重要なものがギッシリと詰まっていそうな感じがする。
更に補足し簡潔に言えば、イデオロギーとは「思想や考えの型、理念体系や信念体系」「価値観形成体系」などではないだろうか。一般的には恐らくこれらを「観念形態」や「思想形態」という言葉でまとめているのだろう。しかし、「資本主義」も「共産主義」もよくよく考えてみれば、両者とも、物質をベースにした、物質的豊かさの追求を資本主義が主張し、物質的欠乏から来る「不満」という感情の矛先を、「物質的豊かさの享受者に向けるという歪な信念体系」が共産主義の主張の心根にある。そして、両者とも価値の優先度の一番に、物質を置き、物質を「持っている」か「持っていない」かで「心」が動かされるという、価値尺度の中心に物質を置く、「物質主義」の信念体系といえるのではないだろうか。
上述した「物質に最も価値を置く信念体系」と「物質の享受者に『嫉妬』という歪な『マイナスの創造感情』」の淵源が、「人類始祖の堕落」にあったということが、原理講論に記述されている。しかし、それらの説明を全て一気に述べるのは、膨大な聖書歴史と、一般的に「こうだ」といわれている歴史に、創造原理を基礎にした分析と解析を関連付けながら説明するは大変煩雑になるため、今回はおこなわないことにする。そのかわり当ブログでは、堕落の原因とその背景に関する説明をまずおこない、これらが堕落以降の人類の「元型」であることの推論をおこない、この人類の「元型」が、どのような現象を発動させているのか、それらを人類の「元型」に相関させて説明してゆく。
ここでいきなりだが、上述した文脈を、お父様が解明された「堕落論(創世記3章に記述されている、人類始祖アダムとエバが犯した罪の原因に関する詳細な理論)」の枠組みで見ると、人類始祖アダムとエバが未完成期において、本来神様の創造理想においては、神様が願った愛の完成をした後に、アダムとエバは結婚しなければならなかった。しかし、愛の完成をする前の段階で、天使に誘惑(聖書によって使われている語彙の違いがある)され、「取って食べるな」という神様の戒めを守ることが出来ず、天使の言葉を優先し選び選択することを通して、未完成の依存的な愛による霊的な行為で堕落してしまう(原理講論堕落論では「霊的な堕落」規定している)。
上述した内容を違う文脈を使えば、エバは「心」と「体」とからなっている人間であるので、「心」における堕落といいかえることができる。また、エバを誘惑した天使に関して創造原理によれば、神様の創造理想を実現するために、最初に創造されたのが天使であり、天子の使命は、「神様のみ意通りに被造物を創造することにあり、神様と一体の、神様に内在する位置に居なければならなかった」が、その位置から離れエバを誘惑した(詳細は、原理講論堕落論参照)。
当ブログの主題が、原理講論堕落論を基にして「エバと天使の堕落(罪の根は、天使との不倫なる血縁関係である)によって、天子の要素が人間に入ってしまった」を事実と受け止め、それが元になって人類歴史に派生した「共産主義」というイデオロギーの探求のため、主に人類始祖の堕落に関わった「天使長ルシファー」の性質と人類の悪なる性質によって引き起こされた出来事の一部を具体的に挙げる。当不安と夫であるアダムとの結婚ではなく、もし愛の完成をしていたならば神様の願いが何かを理解できたはずが、サタンのイデオロギーすなわち天使長ルーシェルの「観念形態」や「思想形態」がそのまんま入ってしまったのが堕落ということになる。
創世記3章1節~7節【新改訳聖書2017】
1、さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
2、女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3、しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せ仰せられました。」
4、すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5、それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが013神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
6、そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
7、こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
原理講論【第17版改定1987年】第二章堕落論 第一節罪の根(三)天子の堕落と人間の堕落(3)天使と人間の淫行P102
- 我々は、既に述べたように、人間が天使の誘惑に陥って堕落したという事実、人間も天使もみな淫行によって堕落したという事実、その上また、被造世界においては、霊的存在であって、お互いにある情的関係を結ぶことのできる存在とは、人間と天使以外にはないという事実等を結びつけてみるとき、人間と天使との間に淫行関係が成り立ったであろうということは、容易にうなずくことができるのである。
ここでもう一つ堕落論に引き付けて、ユニークなインスピレーションを受けた話をする。私は12年ほど前、韓国鮮文大学の神学教授が書いた、お父様(お父様とは文鮮明師を愛情と尊敬を込めての敬称。以下文鮮明師を「お父様」と表記する)のみ言に関するある神学論文を読んだことがある。その論文の中に書かれていたのは、アダムとエバの堕落(創世記第三章)に関して、「天使長ルーシェル(ルシファー 旧約聖書イザヤ書14章12節)が何故エバを誘惑したのか」を、原理講論とは違う観点で書かれていた箇所があり、大変興味を引かれたことがあった。予めお断りしておくが、この論文は新しい堕落論を論じたものでは全く無く、お父様のみ言をベースに、違う角度、違う視点から見た内容を論じたものである。そして、これからお伝えすることは、あくまでも私的考察である。
この論文には、天使長ルーシェルが、エバを誘惑した経緯に関して、この様な趣旨のことが書いてあった。それは、天使長ルーシェルは、自分の位置(神様の創造の視点での位相とは違う、ルーシェル自身が勝手に自らに価値付与した位置)をどの様に認識していたのかが書かれていた。結論を言えば、ルーシェル自体の認識の基準と観念は、神様の創造の御業を、単純な外形的な視点で自己中心に捉え、「創られた順番こそが価値を決める尺度である」と、自己の観念を中心に判断し、価値尺度の基準を神様に置かなかったことだったという。統一存在論によれば、人間存在は本性的には神様の似姿であり、被造世界では、神様に一番近い位置にあり、万物の主管主の位置であるため、たとえ万物界の頂点にある大天使長であったとしても、格位が違うため、人間は天使の主管を受けてはならないことになる。余談ではあるが、統一思想においては、存在論は万物に関する存在論であり、あくまでも「原相論(統一原理を元に神様の属性を論じた哲学思想)」を裏付けるものである。人間に対しての存在論は無く、原相論を基礎に置いた「本性論」において、人間存在に関して論じられているので、一般的な存在論とは違い、哲学思想的にも位置づけが「人間」と「万物」では明確に区別されている。
繰り返しになるが、神様の創造の御業を、天使長ルーシェルの観念を中心として(本来は神様に内在した神様と一致した立場で、神様の属性、観念を中心に見なければならなかった)みた時の自身の認識は、「自分より順番として後に創られたアダムとエバを、神様の創造価値から見て下位にあると認識していたことになる」。もちろん堕落の原因は、原理講論で指摘されているように「愛の減少感」だったのは間違いのない事実ではあるが、愛の減小感に至るまでの「価値尺度の基準」こそが、優先的に機能してしまったことになる。ではこの価値尺度の基準とは何かを深く探求してみれば、神様の創造理想を実現させるうえで、天使達の使命は大変大きく、天使たちの与えられた責任分担を果たすための、神様から与えられた「機能」が、個別的にあったと観なければならない。これは創造の結果体である被造世界を深く観測すれば、理解できる。これだけではないが、少なくとも、堕落の複合的な要因の一つにあったことは間違いない。人類始祖の堕落以降、人間に形成されたであろう「思想や考え、理念や信念」や「価値観」の基礎を形作る要素の一つになって来たはずだ。
では天使長ルーシェルの観念とはなにか、その前に、天使長ルーシェルの存在についてキリスト教では諸説あるが、原理講論堕落論ではどのように述べているかを見ると、創世記第三章に登場する蛇の正体を天使長ルーシェルと規定していて、この天使は、天使の中で神様から最も愛された存在であり、「知」を司る天使長として、神様からの信頼を最も受けていたと堕落論に記述されている。話しを元に戻すと、イエス・キリストが、マタイの福音書20章1節~16節で語られているように、「朝から働いた労働者と、後から来た労働者」の例えがあるが、これは、朝から働いた労働者が、自分が働いた分に相当する賃金をもらいながらも、後から来た労働者の賃金が、自分と同じであることに対して不満を漏らしたという例話である。
イエス・キリストは、この例話の背景にあるのは、人類始祖アダムとエバ堕落に自分と同じなことに対して賃金の差異を、自己の観念の中にある数理的な合理性だけで判断し定義づけしてしまった。神学教授が指摘した「愛の減少感」の背景にあるのは、堕落の原因となった複合的な要素が「数理的合理性」「数理的優位性」ではないだろうか。では、「数理」とは
なぜ人は天使長ルーシェルのイデオロギーを愛するのか?堕落論から結論付けて言えば血が繋がっているからだ。とても近いからだ。宗教的原因の説明抜きにして合理的説明は出来ない。
べノア算術の公理
- 公理の例「どんな自然数にも『次』の自然数が存在する」というものがある。
- ※これは誰でも知っている、学校で習う算数の話。例えば数字の「5」の次は数字の「6」が来るとか、数字の「100000」の次は「100001」が来ることは、当たり前のように理解している。小学校ではこれを扱って教えているのは「算数」と呼び、公理では「算術」と呼ぶ。
上記の原理講論堕落論の内容をベースに天使長ルーシェルの観念を考察して見ると、物事を「外形的、形式的、機械的、合理的」さらには対象を数量的な側面に注目する、「計量的、定量的」なものになるのではないか。しかし、これは悪そのものではない、問題なのは創造前既に存在した真の愛が結実する前に、先行して神様から見れば偽りの自己愛を優先させ、エバを誘惑し、エバは誘惑に応答せず神様に繋がる意思を優先させることによって、天使長ルーシェルの観念から来る思考の枠組み、性質、思考の傾向性を人類に入り込むことを防ぐことができたはずだ。
これを原理講論堕落論の動機と経路で見れば、この様な認識の基準となる観念、補足し言えば「思想や考えの枠組み、理念や信念」や「価値観」が、天使長ルーシェルからエバ、エバからアダムへと入って行き、最終的には偽りの愛による生命、血統として結実されたのだろうということは推論出来る。
それでは、天使長ルーシェルの自分より順番として後に創られたアダムとエバを、神様の創造価値から見て下位にあると認識した「思想や考え、理念や信念」や「価値観」がどの様な結果をもたらすか次の章で見て行こう。
ここで一言断っておくが、上記の説は、私が鮮文大のある教授が書いた論文の一部に書いてあった推論をもとに類推したもので、認知されてもいない、確かめようにない仮設のたぐいだ。気分が悪くなられた方は退席をお勧めする。
日常に蔓延する天使長ルーシェルのイデオロギー
話は飛ぶが、冒頭紹介したマクロ経済学の大御所ケインズの有名な言葉だが。この中で彼が言っていることは、若い時に染まった思想からは、人はなかなか抜けられないと言っている。若い時影響を受けた思想によって出来た思考の枠組みは、意外と根深く染みついているということをケインズは言っている。
帰納的に現実おこっていることに引き付けて見ると、例えば政治的な話をすれば、日本では2019年10月から増税が決定している。財務省の御用学者以外のまともな政治家や経済学者、評論家、著述家で消費税増税賛成の人を見たことがない。
日本はまだ完全にデフレを脱却できていない。そんな中で増税すれば当然消費がマイナスになり、企業は減収となり結果としてGDPがマイナスになり政府の収入も増えないむしろマイナスである。これは過去の経済統計を見ても間違いない。消費税を上げるたびに経済成長はマイナスになっている。
私は今まで増税のたびに何故増税するのかを識者の経済討論会等を10年以上主にYoutubeなどで見てきたが、必ずと言っていいほど討論の議題に上がるのが、「何故財務省は増税するのか」と言う誰も合理的に説明できないテーマである。この合理性を欠く不思議な現象は、日本の憲法論議にも見られ未だ結論付け出来ていない。
財務省には基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化と言う思想がある。財務省の若手官僚はこの思想を徹底的に刷り込まれ、完全に思考の枠組みが「国の成長など関係なく目的は基礎的財政収支の黒字化だ」と言う脳が出来上がっている。GDPの世界ランキングで昨年2018年は日本はアメリカ、中国に続いて第3位であるが、成長率で見るとG20二十ケ国中17位である。全然成長できていない。
上記の話は細かなテクニカルな問題もあるが、間違いなく財務省の中に独特な思想が蔓延しているはずだ。更に困ったことに日本にはプラス「空気」が支配している。山本七平氏が「空気の研究」を書いたが、もし全体が何かの空気に支配されれば、個人はそれを忖度してしまう。特に日本人にはその傾向が強くみられる。確かに胸に手を当ててみると自分もそう思う。
あと「ポリティカル・コレクトネス」などもそうだ、偏見や差別は良くないが、果たして完全な中立などそもそもあるのだろうか?むしろ本質が見えなくなる可能性がある。そのうち「サタン」とか「悪魔」と言った瞬間にそれは差別だ!偏見だ!と言い始める輩が出てくるとも限らない。
なぜ人は天使長ルーシェルのイデオロギーを愛するのか?
なぜ人は天使長ルーシェルのイデオロギーを愛するのか?堕落論から結論付けて言えば血が繋がっているからだ。とても近いからだ。宗教的原因の説明抜きにして合理的説明は出来ない。
初めに言っておくが、これはあくまでも比喩としての例なので、気分を悪くされた方がいれば、お詫びする。決してその方々を指して差別的に言っているわけだはない。その上でお話しするが
例えば世の中には「癖」を持っている人が沢山いるし、研究も進んでいる。その中の一部には「癖」としての範囲を超えて、「病」として規定しているものもある。神様ば私たち人間が努力しても拭えない「癖」か、不治の「病」に大昔にかかってしまい、その事実さえも天使長ルーシェルによって隠されてしまい気付いていない事を良くご存じだ。
なので神様は人類が天使長ルーシェルのイデオロギーに染まらないように聖書を通してその根本原因と、それを解決する手掛かりを教えて下さった。しかし、ほとんどの人がそれが重篤なものであることに気付いてはない。それは巧妙に隠されてきたからだ。
皆さんは「背乗り(はいのり)」という言葉をご存じだろうか?一般的とは言えない言葉なのでて、ほとんどの方は知らないはずだ。主に情報機関や捜査機関で使われている言葉で意味は、「海外からの工作活動をするために、当該国の既に存在している人の身分や戸籍を乗っ取ってしまう事」で、もっと広げて見れば、同国内の中でも行われている例はある。
有名なところでは、故金日成北朝鮮最高指導者であろう。彼はソ連が送り込んだ人物で、ソ連で暮らしていた。その時彼には息子がいて名を「ユーリイ・イルセノヴィチ・キム」と呼ばれていたれたが、その後その息子は故金正日共和国大元帥となる。最近本物の金日成氏は別にいたという記録も出てきた(産経新聞がこの件に関して書いている)。その他でも、慰安婦問題をでっちあげた故吉田 清治氏が背乗り疑惑を持たれている。
何故この話をしたのかというと、「背乗り(はいのり)」は天使長ルーシェルサタンが良く使う手だからだ。そしてサタン自身も神様から被造世界を乗っ取り「背乗り(はいのり)」をしてると見ることができないだろうか。
稚拙な例えだが、天使長ルーシェルサタンの「背乗り(はいのり)」から脱するには、被造世界を創造された真の神様と出会うしかない。親子関係の表現を使えば、本当の親と出会うしかない。血筋を変えるしかないのである。
又、血統に引き付けて申せば、人類の血統の問題に関して、イエス様は明確には語られてはおられない。この人類の血統の問題は再臨主文鮮明真のお父様によって明確にされた。
神様の血統は男系男子、父系男子を通して継承されて来たが、奇しくも今日本では、皇統問題が持ち上がって来ている。アンケート調査をおこなえば、何と女系女性天皇を意味も分からず日本国民の64%が支持している(産経新聞社調査では)。復帰摂理における血統問題の詳細は別の機会に譲るが、皇位継承問題の女系女性天皇を何故支持するのか?結論だけ言えば、はっきりしている原因はフェミニズム思想の影響と、皇室を無くしてしまいたい勢力のマスコミ工作、世論工作が原因だ。。
宗教に浸透した天使長ルーシェルのイデオロギー
天使長ルーシェルのイデオロギーの厄介なのは、正体を隠し人を騙すところにある。さもそれが真理であるがごとく現れる。又、ここで稚拙な例を挙げるが、今から約10年ほど前に「リーマンショック」という2008年9月15日アメリカの証券会社「リーマン・ブラザーズ」の経営破綻に端を発し、金融機関が同時多発的に破綻した事件を記憶されている方も多いのではないか。
その「リーマンショック」については、映画「マネーショート」という映画にも描かれている。以前ブログでハリウッドのことを「ハリウッドというプロバカンダ機関
」として少々批判したが、しかし、それとは別に過去に発生した問題の「検証?」も、しっかり行っているという側面もあるということを付け加えておく。
この事件で見とかなければならないことは、何故世界の名だたる名門と呼ばれる金融機関が巻き込まれたのか?
その原因の一つとして言われているのが、「MBS(モゲージ債)」と呼ばれる金融派生商品のいかがわしさを見抜けなかったことにある。それでは「MBS(モゲージ債)」とはどの様な金融派生商品なのか。
「MBS(モゲージ債)」は、「サブプライム住宅ローン」等のクレジットカードで延滞を繰り返すなど信用力の低い個人や低所得者層を対象にした高金利の住宅ローン等を証券化(証券化のプロセスは複雑なので割愛する)し、他のまともな証券とごちゃ混ぜにしした金融派生商品。これに、ムーディーズやスタンダード・アンド&プアーズ、フィッチ等の格付け会社がAAA(トリプルA)という最高ランクをつけたので、投資家はこれに群がって買った。その後住宅バブルは弾け連鎖的に金融機関が破綻していった。
天使長ルーシェルのイデオロギーに騙されるパターンはこれに似ている。モデルパターンとしてはドンピシャだ!!神様の創造の御業を乗っ取り(背乗り)のモデルパターンはこうだ。
人類始祖アダムとエバの偽りの愛で血統に侵入し、神様が復帰の御業を行うごとに天使長ルーシェルのイデオロギーを入れ込んでゆき善悪をごちゃ混ぜにしながらロンダリングしてゆく。そこに権威が与えられればいっちょ上がりだ。誰も見抜けない。
更に問題なのは、この天使長ルーシェルのイデオロギーによる「背乗り(はいのり)」の例は本来その詐欺を見抜き、正す使命がある宗教にも浸透していることだ。私は以前市の教育委員会から委託されてカウンセリングを行っている方を伝道したことがある。
もうお亡くなりになりになってしまったが、大変立派な方でした。その方がいつも嘆いておられたのはカトリックのシスター達の堕落によって救われない心の問題だった。この方は度々依頼され、彼女たち(カトリックのシスター)をカウンセリングしていたそうで、その中で強く感じたのを彼女は、シスター達の心は「阿修羅のようだ」と宣べていた。
本来救いを求めて神様の前に献身し神様の懐にいるはずが、そこで罪を犯したために「心は救われることが無かった」と言われていたのが今でも記憶に残っている。そして私にも宗教では救われることは無いので早く宗教を卒業しなさいと再三言っていた。
ここ7年~8年の期間で家庭連合に私から見ると「背乗り(はいのり)」されたと思われる兆候が出てきており、上記の特徴がみられる。情弱な教団の中にいる人達は全く気付いていないというお花畑だ。気が付けば全く違うものを拝んでいたと言うことになりかねない。
大変長く難解な文章をご精読感謝いたします。上記最後の部分を読まれまして、これひょっとしてあの教団?と思われた方もいらっしゃると思うが気にしないでほしい、これは私が仮説をもとに勝手な思い込みで書いたものなので。
良かったら下のボタンお願いします。それではよろしく!!ありがとう!!
にほんブログ村
にほんブログ村