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「獣」達の時代とその終焉

キリスト教聖書解釈学では、聖書の解釈は、基本聖書内の記述からするという原則を踏まえて解釈された「獣」は国家を表しており、その解釈の基礎になっているのがダニエル書7章4~7に登場する「獣」である。その上で、『「獣」達の時代』とは、聖書全般に出てくる「獣」という記述が伝える...

民主主義と共産主義の終焉から「神主義」「父母主義」世界へと昇華する現実世界

天聖経【初版】成約人への道第三章国家・世界観 三、人類の中心思想は真の愛主義 1、アダム主義は父母主義P1626

 父母主義とは何でしょうか。地上でアダムとエバが完成した真の父母主義です。その次に、「神主義」とは何でしょうか。真の父母は横的な父母なので、縦的な父母が必要だというのです。ですから縦的な父母主義が「神主義」です。ゆえに「頭翼思想」(とうよくしそう)という言葉は真の父母主義であり、ゴッディズム(Godism:神主義)とは縦的な「神主義」です。このようになるのです。横的な真の父母と縦的な「神主義」の、縦横が一つになって、天の生命、地の生命、天の愛、地の愛、天の血統、地の血統が連結されて人間が生れたので、人間は二重存在になっているというのです。内的な人と、外的な人になっています。内的な人は縦的な私であり、体的な人は横的な私だというのです。実となるのです。

天聖経【初版】成約人への道第三章国家・世界観 三、人類の中心思想は真の愛主義 2、父母主義は真の愛主義P1628~1629

 それは「神主義」を求めてゆく過程です。主義というのは、ある目的を求めてゆく杖のようなものです。主義自体が要求されるのではなく、目的を成就する上で必要な過程なので、この主義というのは変遷するのです。今日、アメリカを民主主義の宗主国として先進国家と呼びますが、将来お金によって腐敗し、民主主義が嫌になるときが来るのです。大韓民国にも今、このような状況が起こっています。民主主義が良いことは良いのですが、今私たちの国ではお金のためにもろもろの中傷謀略が起き、政権を奪い取ろうとする闘いが起こっています。それが民主主義ですか。それは特権主義的な状態で起こる現象です。

天聖経【初版】成約人への道第三章国家・世界観 四、民主主義と共産主義の未来 1、民主主義と共産主義を一つに

 現在、世界で起こっている最後の難しい問題とは何ですか。東西文化の分立の問題です。東洋と西洋をどのようにひとつにするかという問題です。それは人間の力ではできないのです。左翼と右翼が一つになるには左翼でもできないし、右翼でもできないのです。ここに頭翼が出てこなければなりません。それで「頭翼思想」の顕現を語っているのです。人間が優れているという人本主義思想、唯物主義をもってもできません。物本主義思想と人本主義思想では駄目なのです。天意による本然の心情を中心とした、神本主義思想に帰らなければなりません。このような問題を提示して、東西に分立されたこのすべての文化背景を、どのように連結させるのかというのです。アメリカの国民が私に反対しましたが 私に従わざるを得ない段階に入りました。西洋社会も同じです。

民主主義と共産主義の終焉

文鮮明真の父母様が、80年代に「共産主義の終焉」を発表されて久しい。しかし、その終焉のプロセスは人間的な肉的世界に起こった表層的な一現象であって、神の目を持つ文鮮明真の父母様は、既に本質世界を見通すことを通して、十分に確信的にその終焉のメカニズムを予知していたに違いない。

また、文鮮明真の父母様は私たちのようにすべての事象を、外形的、形式的な政治形態や思想形態を形成することによって現れる、名目的な現象にのみ囚われ固定化された思考の枠組みのみで捉えるのではなく、むしろそれら目に見える事象にエンタングルメントentanglementされた、より本質的な本然的な「在る」というお方である神様の中に存在する、未だ成就されていない創造理想と創造本然の価値が、各時代を経て段階的に現れてくる復帰的現象と捉え、そのことによって共産主義が相対的に崩壊してゆくことを預言されたからに違いないと私は思っている。

更に、文鮮明真の父母様のお話(み言)は、観念世界の荒唐無稽な空想や妄想ではなく、リアルな現実(実体世界)に紐付けされた、前回も当ブログで述べたように、「エヘイェ・アシェル・エヘイェ אהיה אשר אהיה」出エジプト記3章14節の「在る」お方であり、「わたしは存在するもの」「わたしはなろうとするものになる」という、神様自らの存在の絶対性と絶対的自由意志の核心である情と一体をなした方だからこそ語ることができる内容であることを冒頭お伝えしたい。

それでは神様ご自身が「わたしは存在するもの」「わたしはなろうとするものになる」であるがゆえに、歴史の本質には神様の絶対的な「なろうとするものになる」という理想が存在する。更に、前回も述べたが、神様には属性が存在するため、歴史には目には見えないが、神様の属性に由来する構造とルールが存在し、それに沿って目的と方向性が創発する。文鮮明真の父母様には現象世界で起こる民主主義と共産主義の終焉現象は確信的な必然性であって、人間始祖が犯した罪が血統的に繋がっているが故に、神様のカウンターアタックCounter Attackとして起こるべくして起こる現象であることも予知されていたに違いない。

しかし、神様のカウンターアタックCounter Attack無しに、「わたしは存在するもの」「わたしはなろうとするものになる」であるがゆえの創造理想が歴史の中に現れるのは絶対的に困難である(何故困難なのかの理論的説明は、今回割愛する)。地上に神様と絶対的に通じる肉体を持った実体人間が必ず必要である。その方を私たちはメシア、キリストと呼び、その方が地上でサタンと闘って、サタンに打ち勝った結果を「天の勝利権」と呼び、その勝利して得た領域を「天の勝利圏」と呼んでいる。

その上で今回のブログは、上述した「天聖経」抜粋文章の中で、民主主義が「アメリカを民主主義の宗主国として先進国家と呼びますが、将来お金によって腐敗し、民主主義が嫌になるときが来るのです。」「今私たちの国ではお金のためにもろもろの中傷謀略が起き、政権を奪い取ろうとする闘いが起こっています。それが民主主義ですか。それは特権主義的な状態で起こる現象です。」と語られ、共産主義の終焉ばかりではなく、それと対峙してた民主主義も壊れることを指摘し、「天意による本然の心情を中心とした、神本主義思想に帰らなければなりません。」と語られた。私は、政治イデオロギー的には、今はそのための移行期と考えている。今回はその過程で起こる「艱難時代」をテーマに備忘録的に書いてみた。

文鮮明真の父母様と現象から、既に艱難時代に突入したと見るべき妥当性

東住吉キリスト集会高原剛一郎牧師が、艱難時代を以下のようにまとめておられるので引用させていただく。

  • 一、 この世界からサタン(悪魔)の勢力を一掃するため。悪魔、反キリスト、偽預言者、これらに従う人々が滅ぼされる。

  • 二、 御国の福音が世界に宣べ伝えられ、人々が受け入れるために7年の期間が必要。人類に与えられた猶予期間。

  • 三、 イスラエル民族が、民族的にイエスを受け入れるために艱難を受けるが、それをきっかけにキリストの再臨があり、イスラエルが再臨のキリストを受け入れることによって、世界が受け入れる。

艱難時代は政治イデオロギーが原因で出現するものではなく、神様によって罪穢れた人類に恣意的な懲罰として災禍がもたらせられるものでもない。むしろ、神様の側に私たちが一度でも明確な意思と信念をもって立てば、これほどの恩恵と恩賜が与えられる期間はありえないと私は考えている。

人間は苦しみの只中にあったとしても、一瞬でも神様に心の方向性を向け、真摯に神様とむかいあえば、神様が下りてこられ深い無限の、何の見返りも求めない愛で包み込んでくれる。神様は真の親であり、全ての人を漏れなく天国へ導きたいと願っておられる。これは観念ではなく、概念でもない。実態であり実感を伴う世界、「天の勝利圏」に包み込まれる愛の領域圏で起こる現象。

それでは移行期とはどのようなことが現象として起こると考えられるであろうか。前出の高原牧師がまとめられた艱難時代の意味の二の「御国の福音が世界に宣べ伝えられ、人々が受け入れるために7年の期間が必要。人類に与えられた猶予期間。」に引き付けて焦点を絞ってみて見ると、先ず、聖書創世記には人類始祖アダムとエバの話が出てくる。この話は決して非現実な話ではなく、意識という文脈で見れば、我々の深い意識下で、蛇に象徴された天使、サタンによって意識がサタン化され固定化されてしまったと見ることができる。この意識を目覚めさせ来るべきメシヤの再臨に備えさせるのが艱難時代の一番の目的だと解釈することができる。

文鮮明真の父母様は以下のような趣旨でみ言を語られた(文鮮明真の父母様は、「意識」という文言はみ言のなかで使ってはおらず、「意識」は私の個人的な視点から導き出し使用している文言)。メシヤ降臨前、或いはイエスキリストにおいては、公生涯前に必ずサタン化され固定化されてしまっている意識を覚醒させる(サタン分立「原理原本」「原理講論」から引用)人物あるいは現象を神様は地上に送られかつもたらされる。新約聖書では洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)ルカの福音書1章15章から17章、マルコの福音書1章2節がそれにあたる人物であり、旧約聖書においては、特別預言者エリヤ列王紀上18章38節から40節がその人物だ。

現在悪なる勢力によって民主主義がツール化され、国家の形態をとらない全体主義者たちによる世界統治が企てられているが、その方々に申し上げたい。あなた方は既に終わっている。あなた方の計画は決して上手くゆかない。そのことは既にヨハネの黙示録で語られており、神様がイエスキリストに僕らに伝えるようにと使徒ヨハネに伝えた内容は、2000年前の話ではなく、今なのだ。あなた方にはそのことが理解できていない。

ヨハネの黙示録第一章1節

1、イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。
この期間(艱難時代)には多くの人の犠牲が出るであろうということがヨハネの黙示録には書かれている。しかし、私たちは耐えなければならない。私たちが唯一耐えられる根拠を探すとするならば、神様がそれ以上の深い悲しみをされたという事実を知り、少しでも神様に意識を向けることではないかと私は考えている。

イエスキリストも文鮮明真の父母様も共通しているのは、神様が歴史の中で流されてきた、深い悲しみを負ってこられた事情を知っておられたことである。イエスキリストも文鮮明真の父母様も、神様と人類の狭間で、人間の姿で天の悲しみと苦しみ、地の悲しみと苦しみを負われ苦労した姿を私たちは目撃し記憶している。

アーキテクトされた再帰性バイアスと再帰性ループ

今が艱難時代であることが分からない人たちに是非見て頂きたい映像がある。この動画は世界で起こっている邪悪な事象のごく一部である。私たちは意識すれば世界で起こっていることが目の当たりに見て感じることができる。私たちに残された時間はそんなに多く無いと私は感じている。

邪悪な一つの例だが、世界的に有名な天才投資家であり、サタンの実体代理人にしてアーキテクト ジョージ・ソロス氏George・Sorosは、彼自身の「再起性理論」を駆使して投資家として成功したことを語っている。特に注目するのは再帰性バイアスという概念を良く使用している。一言で言えば「思い込み」である。彼は株式市場に於いて本来的な意味にける株価実体は無いと断言している。

では株価はどのように決まるか、彼の理論では、それは「こうに違いない」と思ってしまうこと、つまり、あるものを見たときにみんなが「こうだ」と思う認識、その「思う」ことをバイアスと彼は言っている。しかし、人間はその認識においていつも過ちを犯し(彼は人間の可謬性と定義)、自然は逆に無謬であると定義している。

その原因を彼は論理哲学的説明(「自己言及のパラドックス」)も含めてこう説明している。「社会参加している人間自身には、社会の一部分を担っているため、部分から全体は把握できない。故に本当の現実は分からない。」と言っている。なので人間はいつも過ちを犯す存在であると結論付けている。

いま世界で起こっている邪悪な出来事を、再帰性理論を通して見ると、彼が背後にいてアーキテクトしていることが良くわかる。私たちは実は部分しか見せられていないし、部分しか見ようとしていないことが理解できる。





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