王の涙
英雄サラディンを破ったボードゥアン4世の涙
「弱者のうちに力を現す神が、病気持ちの王を鼓舞したもうた。王は馬から降り、大地に跪き、十字架の前にひれ伏して、涙ながらに祈りあげた。そのさまを見て、すべての将兵は感きわまり、この期におよんでは、一歩も引かぬこと、馬首をめぐらすものは、だれでも裏切り者と見なすことを誓った。将兵は馬にまたがり、突撃に出た」(ミシェル・ル・シリアンの年代記より)。
上記は、1177年11月25日モンジザールの戦いで、数の上で遥かに勝る英雄サラディン率いるイスラム軍を、若干16歳の若き癩王ボードゥアン4世が打ち破り、エルサレムを奪還した戦いを、歴史家ミシェル・ル・シリアンが記したものだ。(モンジザールの戦いは、「キングダム・オブ・ヘブン」という映画にもなっている)
更に若き王ボードゥアン4世は、幼い時にハンセン病に冒され、そのことさえも自らに与えられた罪とし、悔い改めの祈りを涙ながらにされたという。
その姿が、テンプル騎士団を始めとする他の騎士たちの士気を高めたと言われている。
韓国での二代王の姿は、お父様の乗っ取られ、踏みにじられた権威を奪還した勝利の姿であり、その勝利の清められた涙が私の心を癒してくれた。
聖書預言が伝える意味
恐らく家庭連合の指導者達は、自分たちが何をすべきか全くわかっていないのだろう。
マタイ11章2節~6節
- さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、
- 自分の弟子たちをつかわして、イエスに言わせた、
- 「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それともほかにだれかを待つべきでしょうか」。
- イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
- 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生きかえり、貧しい人は福音を聞かされている。
- 私につまずかない者は、さいわいである」。
マタイ11章11節
- あなたがたによく言っておく、
- 女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起こらなかった。
- しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
上記の有名な聖句を引用するまでもなく、神から離れたものがゆくべき運命を我々は歴史の中に見てきた。
直近の世界的な大イベント「アメリカ大統領選挙」、「コロナウイルスパンデミック」と「コロナワクチン」、「ウクライ戦争」を全て外している。
家庭連合にとっては大変不幸な話だが、既に艱難時代に入り、シュリンクしてゆく世界を正しく導くことはもう出来ない。
因みに今回のウクライナ戦争(ロシアのウクライナ侵攻を端緒とする)を言い当てた人達がいた。私が知る限りでは少なくても3人の方がおられた。
彼らは外交評論家や、国際政治、軍事の専門家ではない。クリスチャンである。プロテスタントの牧師達だった。
彼らが言い当てた唯一の論拠は、聖書のエゼキエル書38章である。そして、既にエゼキエル戦争の条件はそろったと言っている。
韓鶴子氏は聖書と原理講論不要論を言い放っておられるが、ヨハネの黙示録には「神の刻印」と「獣の刻印」について書かれている。
「神の刻印」
ヨハネの黙示録 7章 3~4節
7,「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
8,わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
ヨハネの黙示録14章1節
1,また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。
「獣の刻印」
ヨハネの黙示録 13章 16~17節
16,また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
17,そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
ヨハネの黙示録 13章 18節
18,ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。
これからの時代は、大きく二つに分けられるということである。
霊性が弱まり機械に近づく人間
人間は日々の生活で必ず物事に意味や意義を探し、優先順位をつけ行動する。この様な人間の肉体的(肉、体等)、精神的(霊、魂、心等)欲求と連動した認識や行動を数学に落とし込みプログラムされたのがAIである。
以前も取り上げたが、世界はシンギュラリティ(以下の説明を参考にしてもらいたい)を目指して動いている。今は第四次産業革命真っただ中であり、AIはこれからの人類発展に必要不可欠な技術的発展要素であると本気で信じ目指している。私たちは、人工知能が世界を支配する特異点を愚かにも信じている。
- シンギュラリティ(Singularity;技術的特異点)とは、アメリカの発明家で人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイル博士らが示した未来予測の概念で、一つの仮説として想定され得る、人工知能(以下AI)が人間の能力を超える時点 や、それにより人間の生活に大きな変化が起こるという概念のことを指しています。
ある有名な牧師は、神を「神は無限定的存在」と評した。お父様は神の本体を「真の愛」と説明された。
AI科学者は、必ず哲学の「存在論 Ontology」や「認識論 Epistemology」を学ぶ。これは知識をある議論領域(ドメイン)内の「概念」並びに「概念間の関係」のなす順序組とみなしたときの形式的表現やドメイン内の実態の理由付けを数学に落とし込みプログラムするためだ。
認知学者の苫米地英人博士は(彼はカーネギーメロン大学でAI開発に携わっている)、あるテレビ番組で以下の説明をしていた。
〇西洋哲学存在論での宇宙の定義はこうなる
彼は議論領域(ドメイン)の上の束と下の束をそれぞれ数学的に定義し、情報量の多い下の束を数学的な「矛盾」とし、抽象度が高い上の束を「空sunya」とし閉じられたモデルを想定した。
何故閉じられた宇宙モデルが必要か?簡単に言えば計算を終わらせるためである。計算が終わらなければ基本コンピュターはフリーズ(固まる)する。
計算を終わらせる事が出来るということは、予め答えが用意されている想定された領域内の設定が必要ということだ。
コンピュターは基本命じられたことしか行わないので、答えを一時保留にし、他の優先度の高いものを選び出し計算するとか、自ら強制終了(電源を引っこ抜く)等はしないので、計算が終わらなければ、うんともすんとも動かなくなる。
性能の高いAIをつくるには、一定の閉じられた領域を設定する必要がある。苫米地英人博士は何故上部概念を「空」としたかの説明で、空という概念は、何もないのではなく、関係性が存在する。関係性からの存在論的概念を上の束としたと言っておられた。
苫米地英人博士のこの指摘は、AIやシンギュラリティの本質を通して、神や人間存在を理解するうえで、大変参考になった。例えばある議論領域の上の束に「情(心情)」を置いたと仮定し、人工知能をプログラムした場合どのような問題が想定できるだろうか?
統一原理では、「情(心情)」がある対象に向けられた場合、これを「愛」と呼ぶ。情や愛は最上位の包摂概念であり、全ての存在や事象を包摂する。即ち閉じられた領域とはならないし限定できない。乱暴に中間の説明を端折って結論づければ、神は言語では表現も説明もできない存在だ。
神は定義できないし、説明できない存在だが、お父様は神は「真の愛」の存在と説明された、驚異的な説明だ。「真の愛」は限定できない。
今私たちははっきり理解しなければならないことは、人類はシンギュラリティを目指しているそうだが、そのことの意味は、機械が人間に近づいているのではなく、人間が機械に近づいているということを。
先ほど図でお示ししたように、抽象度(Levels of Abstraction)が低くなればなるほど、情報量(数学で定義出来る)が多くなるということを理解していただけただろうか。
抽象度が高いものを理解しようとすれば霊性の高まりが必要であり、逆に情報量が多くなれば脳の機能が高くなる。
この先、高度なAI技術が現れたとして、SiriやGoogleにイエス様の「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」や、お父様の「愛は与えて忘れなさい」の意味を聞いても恐らく答えてはくれないし、答えられないだろう。
今までの記述と必ずしも一致してはいないが、人間の脳は左右機能が違う部位に分かれており、TEDで実際の人間の脳を使いプレゼンをおこなった「奇跡の脳」の著者で脳科学者ジル・ボルト・テイラー博士は、左脳の血管が破れ、脳卒中を患い右脳のみなった。
そしてこの本には、「涅槃の境地」、「神秘的」あるいは「形而上学的」な境地とはどのようなものか理解できるようになったと、この時の経験が書かれている。
Drベルナルド・カストラップ(Dr. Bernardo Kastrup)は、哲学者でありコンピューター工学博士、特にAIのスペシャリストでもある。彼はCERNで「大型ハドロン衝突型加速器 Large Hadron Collider」の設計も行っている。
彼のユニークなところはバリバリの科学者でありながら哲学者でもあり、名だたる脳科学者を論破した天才である。彼の主張は「宇宙の本質は意識Consciousnessであり、宇宙には意識しか存在しない」だ。彼はある対談の中で「AIで腎臓をプログラムしたが‘おしっこ‘はしなかったよ」と冗談を言っていた。そしてこれは生命現象機能をシュミレーションしたに過ぎず、生命現象の再現ではないと。
霊弱と情弱(情報弱者)と肉の目
家庭連合は、統一マークに※商標権を設定し、サンクチュアリー教会に訴訟を仕掛けてきたが、ただ愚かさを露呈しただけだった。
家庭連合が下に見ているキリスト教は、十字架と聖書に商標権を設定するなどという愚かな事はしない。
それは神を敵にまわす恐ろしい行為だと理解しているからだ。聖書の書き換えや上書きもしなかった。
ヨハネの黙示録で言う艱難時代は、これから本格的に現象化するが、多くのクリスチャン達は希望の時と捉えている。何故か、艱難が去れば救世主が降臨し天国がつくられるからだ。
私の摂理認識は、今は「再臨運動の真っただ中」だと捉えている。もちろん再臨運動の中心は三大王権であり今この瞬間は、二大王である。
洗礼ヨハネもそうだったが、神から離れると霊性が鈍り、前章の図でも説明したが、AI的に言えば抽象的な存在や事象を捉える感性が落ちてくる。
感性がが落ちると情報を細かく細分化してしまい、判断の軸を失ってしまう。そうなった場合、ほとんどの場合過去の経験値にループバックし、判断軸を過去から引っ張てくる。
当然探し当てた解に対しては不安があり、確信が持てない。また情報を更に細かく探ってゆくが決められない。という具合に無限ループしてしまう。
自分に自信がないので誰かに相談するが、霊的波動が低いため自身の反映である低い霊的存在と事象しか現れてこない。
冒頭に申し上げたように、家庭連合は「アメリカ大統領選挙」、「コロナウイルスパンデミック」と「コロナワクチン」、「ウクライ戦争」を察知できなかった。
何故察知しなければならないのか、黙示録の預言がいつ成就するかを知るためであり、生き残るためだ。預言は必ず成就する。
※ブログ投稿時「著作権」と記していましたが、正しくは「商標権」であることが分かり、現在訂正し記しております。
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