エレミヤ書51章45節~46節【新改訳聖書2017】
45、わたしの民よ、その中から出よ。主の燃える怒りから逃れ、それぞれ自分自身を救え。
2、そうでないと、あなたがたの心は弱まり、この地に聞こえるうわさを恐れることになる。今年、うわさが立ち、その後、次の年にも。うわさは立つ。この地には暴虐があり、支配者はほかの支配者に立ち向かう。
わたしの民よ、その中から出よ
エレミヤ書51章45節~46節は神様がバビロン化したキリスト者に向けてあたえたみ言である。エレミヤはイスラエルの捕囚期前からバビロン捕囚に至るまでの過程で召された預言者で、涙の預言者としてよく知られている。
エレミヤが奉仕した時代の国際情勢は、それまで覇権国として存在した強大な帝国アッシリアに代わってバビロニアとエジプトが台頭し始めた頃であった。その後紀元前612年にバビロニアが首都ニネベを攻略し、アッシリアを攻め滅ぼした。
神様がエレミヤに託したメッセージは、ユダ王国の王や偽預言者たちが、迫りくるバビロニアの脅威をエジプトと結んで対抗しようという政治的な判断に傾いたとき、イスラエルよ悔い改めて神に帰れであった。
「安部元首相暗殺事件with旧統一教会崩壊」現象に関する私の考えを申し上げれば、家庭連合は、安部元首相暗殺(日本のメインストリームメディアは全て”銃撃”という文言を使っているが、海外のメディアは”assassination暗殺”という文言使っている)事件のスケープゴートにされたということを「韓鶴子パラドックス前編」2022年8月11日に投稿したブログの末文あたりで書いているが、その捉え方は今も変わらない。むしろトランプ政権発足後この世を覆っていた闇がまるで霧が晴れるように、実証的な事実が、まだほんの一部ではあるが明らかになってきたと感じている。その上で前もってお伝えしたいのは、今回の投稿はまったくの私的なファンタジーであり、エッセイとして書いた備忘録なので信憑性は全くない。もし気分が悪くなったという方がおられた場合、早めの退席をお勧めする。
先日家庭連合所属の友人食口から連絡を頂いた内容の中で、「信教の自由」を訴える署名活動が、アメリカ在住の家庭連合食口有志達によっておこなわれているので、見てほしいというものだった。私のこの「安部元首相暗殺事件with旧統一教会崩壊」現象の観方は繰り返すが一貫しており、この現象は霊肉の身体感覚で※観るべきで、この事件の不条理で、不可解な状況の全体は原理を持ってのみ理解できるのではと私は考えている。なのでその友人にお伝えしたのは、安部元首相暗殺の実行犯は山上 徹也被告単独ではなく、彼は暗殺に関わっていたのは間違いない事実だが、安倍元首相を撃ったのは彼ではない。彼はこの犯罪全体を構成している一部分であるのは間違いないと思うが、国家全体が関わらなければ成立しない犯罪だと観ている。この観点に前提を置けば「信教の自由」を訴えたとしても、そもそも超法規的に行われた超国家的、一国家の法を超えた、人権など微塵にも考えない、ヨハネの黙示録に登場する勢力によって、まるで預言が成就するがごとく実行された現象と観ているということだった。
※「観る」と「見る」の使い方の違いは、一般的に意思とか意識が入るか否かの違いで使い分けられるらしい。因みに量子実験での観測行為は「観る」ことだと私は考えている。文芸批評家浜崎洋介氏は養老孟司氏(以下養老氏と記述)との対談の話として、養老氏がこのような内容を語っていたことを紹介していた。それはちょうど音楽を聴く手段がレコードからCDに変わっていった時期に起こった出来事で、養老氏によれば、レコードからCDに変わった時、いわゆるアナログからデジタルに変わる過程においてそぎ落とされた物があり、それはアナログ音源には人間の聴覚(可聴域)ではとらえることが出来ない高い波長域(超音波)と低い波長域(超低周波)が含まれており、CD化の過程でその部分がカットされたという。その時に起こったことは、アナログを愛した人たちからの音の違いに対する批判であった。浜崎洋介氏はこの話を引き合いに出して「聴く」と「聞く」の違いの話をされていた中で、「では人間の聴覚と相互作用しない波長域を私達はいったいどこで受け取っているのだろうか、実は人間は音を身体全体で聴いているのでは」と話していた。実は観るという行為も私は同様だと考えていて、人間の肉体の機能としての感覚器官だけではなく、人間個体の全体(霊肉両面の例えば視覚ならば、光と相互作用しない人間に備わっている超感覚的部分)を使って捉えられるものが「観る」ではないかと私は考えている。私はこの「観る」こそがお父様が語られた「体恤信仰」が伴なった霊肉の経験的な感覚であり、鍛えられ磨き上げられた感覚であり、直感であると考えている。既存の知性人が理解する「身体感覚」はこれであると私は考えている。
イエス・キリストの十字架の深い原理的意味を、原理講義をされた方は身体感覚で理解されておられると思うが、私の「安部元首相暗殺事件with旧統一教会崩壊」現象の観点は、イエス・キリストが十字架にかけられて昇天された意味の原理的構造と「型」が似ていると事件発生当時から観ていた。しかしこのことを世に発信することにはためらいがあった。まず何よりも日本国の偉大な政治家安倍晋三元首相がお亡くなりになっており、令夫人安倍昭恵氏とご親族やご生前安倍総理を支えてこられた方々のご心中を察すれば、心の中に封印せざるを得なかった。
しかし、トランプ政権が発足し、JFK暗殺に関する資料の開示に始まり、彼がまるでエリヤのような働きで、偶像に仕えるバアルとアシェラの預言者達を追い詰めている事や、「安部元首相暗殺事件with旧統一教会崩壊」の中心人物として祭り上げられている山上 徹也被告の刑事事件の公判が未だ開かれず公判前手続きが6回もおこなわれ、あるジャーナリストは関係者に取材した内容から、今年も開かれないといったことまで推測していた。更に直近の公判前手続きで、「山上 徹也被告は銃刀法違反さえも問えないのでは」という議論がされていたと、確度は高くないがと前置きしながら言っていた。事程左様に何か全体の空気観が変わってきたと感じ、今回はファンタジー的エッセイとして投稿するに至った。
そこでまず原理の入門書である原理講論でのイエス・キリストの十字架の深い意味に関する主張をざっくりと申し上げれば、旧約聖書創世記第3章での人類始祖アダムとエバが天使ルーシェルの誘惑により堕落し、神様はエデンの園から彼らを追放し、エデンの東の方にケルビムと回る炎の剣を置き命の木を封印された。その後アダムとエバは家庭を築き子女をもうけたと記されている。神様の創造の目的は、人間を見て喜ばれるためであり、人間が存在する目的は神様を喜ばせるためであるので、たとえ堕落し神様から遠く離れたといえども、創造の目的を未完のまま終わらせるわけにはいかない。その観点で聖書を原理で精察すれば、神様は堕落直後から人間を救うための救援摂理を始められているのが分かる。
その救援摂理の目的は、神様の血統からサタンの血統へ堕落することを通して血筋が変わってしまった人間を救うためには、神様の血統から生まれたイエス・キリストを降臨させ、サタンの血統にいる人間に接ぎ木しなければ、堕落人間は再び神様の血統に帰る道がない。キリスト教で言う救いと呼んでいることを文鮮明真のお父様(以下、愛と尊敬を込めて「お父様」と表記)はそのように解説している。聖書の歴史観で観れば必然的に歴史の目的はメシヤの降臨と結論付けできる。
そこで一点付言すれば、上述の聖書解釈は所謂キリスト教メインストリーム宗派の聖書解釈には存在しない。特にお父様の解かれた聖書の原理的な解釈に論拠する「罪」に関しての説明には曖昧さは一切なく、イエス・キリストが神の御子たるゆえんは、まさに神様との血統的繋がりをもって神様の御子と称えられるのであって、イエス・キリストの真理性の根拠は神様との血統的一体性であるとお父様は強く主張されておられる。
このような原理的観点で、イエス・キリストの十字架の意味を端折(はしょ)て簡単に申せば、イエス・キリスト一人の命の価値と、人類全体の命の価値は等価ではなく⦅「神は、実に、その一人子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネ3:16)⦆、神様は最も愛する者をサタンに奪わせた代わりに人類全体の命を救われたということになる。このようなイエス・キリストの十字架の意味に関する深い聖書解釈は、お父様によってはじめて解明されたものであり、詳細は以下で確認していただきたい。
原理講論 後編 第二章モーセとイエスを中心とする復帰摂理第三節イエスを中心とする復帰摂理(三)第三次世界的カナン復帰路程(1)イエスを中心とする霊的カナン復帰路程①霊的な信仰基台【1982年第十七版改訂】422p
イエスがメシヤとして現れるときまで、神はユダヤの選民達と共におられた。しかし彼らが、メシヤとして現れたイエスに逆らい始めた瞬間から、神は彼ら選民達を、サタンに引き渡さざるを得なくなったのである。それ故、神はイスラエルの民から排斥された独り子イエスと共に、選民を捨て、それから顔を背けざるを得なかったのである。しかし、神がメシヤを送られたその目的は、選民をはじめとして全人類を救おうというところにあったので、神は、イエスをサタンに引き渡してでも全人類を救おうとされたのである。また、サタンは、自分の側に立つようになった選民をはじめとする全人類を、たとえ、みな神に引き渡すようになったとしても、メシヤであるイエスだけは殺そうとしたのである。
その理由は、神の四千年復帰摂理の第一の目的が、メシヤ一人を立てようとするところにあったので、サタンはそのメシヤを殺すことによって、神の全摂理の目的を破綻(はたん)に導くことができると考えたからである。こうなると、神は、イエスに反対してサタンの側に行ってしまった、ユダヤ民族をはじめとする全人類を救うためには、その蕩減条件としてイエスをサタンに引き渡さざるお得なかったのである。
サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が四千年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。このように、イエスをサタンに引き渡された神は、その代償として、イスラエルをはじめとする全人類を救うことができる条件を立て得るようになられた。それでは神は、どのようなやり方で罪悪人間達を救うことができたであろうか。サタンが、既にその最大の実権を行使してイエスを殺害したので、蕩減復帰の原則により、神にも最大の実権を行使し得る条件が成立したのである。
ところで、サタンの最大の実権行使は、人間を殺すことにあるのであるが、これに対して神の最大実権行使は、あくまでも死んだ人間を、再び生かすところにある。そこで、サタンが最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ(ロマ11・24)、彼らを新生させることによって救いを受けられるようにされたのである。

イエス・キリストの十字架の犠牲によって人類救済のための摂理は2000年延長した(詳細は割愛)。イエス・キリストは「見よ、わたしはすぐに来る.......」(ヨハネの黙示録22章12節)とご自身の使命を完成される再臨主の降臨を語られている。
ノアの家庭における父性の排撃によって偶像を崇拝する民が生まれた
創世記9章18節【新改訳聖書2017】
18、箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。ハムはカナンの父である。
創世記9章20節~27節【新改訳聖書2017】
20、さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。
21、彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。
22、カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
23、それで、セムとヤフェテは上着を取って、自分たち二人の肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背けて、父の裸は見なかった。
24、ノアは酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知った。
25、「カナンはのろわれよ。兄たちの、しもべのしもべとなるように。」
26、また言った。「ほむべきかな、セムの神、主。カナンは彼らのしもべとなるように。
27、神がヤフェテを広げ、彼がセムの天幕に住むようになれ。カナンは彼らのしもべとなるように。」
父を敬ない民族はどのような民族になるのか。聖書に記されているハムのこの小さな行為が、将来どのような民族に影響を与えてゆくのか。父を敬わない人の人生が、どのような民族をつくってゆくのか。信仰(人間の目には見えない内心の意思、意欲、判断、決定の主体をどこに置くか、何に置くか等)の誤りと起こった事実の関係を実証的に検証しなくてはならない。また検証の意義は、お父様が語られた「血統」とは何かを知る上でも重要だと私は考えている。
ハムの四男カナンの後孫達は、やがてイスラエルが約束の地に入って行くときに、その地の先住民として居た。創世記10章15節~18摂には「カナンがうんだのはシドン、ヒッタイト、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツエマリ人、ハマテ人を生んだ」とある。これらの民はやがてイスラエルによって聖絶の対象となり、神に敵対する偶像を拝する民になる。
創世記10章1節、6節【新改訳聖書2017】
1、これはノアの息子、セム、ハム、ヤフェテの歴史である。大洪水の後、彼らに息子たちが生まれた。
6、ハムの子らはクシュ、ミツライム、ブテ、カナン、
創世記10章8節~12節【新改訳聖書2017】
8、クシュは二ムロデを生んだ。二ムロデは地上で最初の勇士となった。
9、彼は主の前に力ある狩人であった。それゆえ、「主の前に力ある狩人二ムロデのように」と言われるようになった。
10、彼の王国の始まりは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった。
11、その地から彼はアッシュルに進出し、二ネべ、レホボテ・イル、カルフ、
12、および二ネべとカルフの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
ハムの子クシュから二ムロデが生まれ、彼らはことごとく神に敵対する民になった
ニムロデ(ニムロド、ニムロッドとも。ヘブライ語: נמרוד、Nimrôd)は、旧約聖書の登場人物。『創世記』第10章において、クシュの息子として紹介されている。クシュの父はハム、その父はノアである。地上における最初の勇士で狩人であるとされる。ユダヤ人の伝承が記された『ユダヤ古代誌』ではバベルの塔の建設を命じた王とされる。「ニムロデ」とはヘブライ語で「我等は反逆する」という意味。
韓鶴子氏は自分由来の「独生女」から聖母へ名を変え、聖母礼拝が定着し後継が立つとその後母子礼拝をさせる。その時点でお父様のご存在は完全に排撃され消えると私は推論している。そのようにすればその血筋は呪われその子孫から神様に敵対する民が生まれるかもしれない。それは既に神様の父性を排撃し神様に敵対し偶像を神として拝することによって犯した罪の果実が、世界中で母子礼拝という特徴的な偶像礼拝が生まれている事からもわかる。
キリスト教プロテスタントはヨハネの黙示録17章に出てくる大淫婦バビロンを、ローマカトリック教会と解釈している宗派が多数ある(大淫婦バビロン=ローマカトリック教会)。ローマカトリック教会はキリスト教で唯一マリア自身が無原罪であったと認定している。
ローマカトリックにおける異教的女神信仰と聖母信仰マリア無原罪認定
A.D.431年マリヤを崇拝し、「神の母」という言葉がエペソ公会議で初めて用いられる。
A.D.1508年アヴェ・マリアの祈りが法王シクストゥス5世によって承認される。
A.D.1854年処女マリア無原罪懐胎説が、法王ピウス9世によって宣言された。
A.D.1950年処女マリアの聖母被昇天(マリア死直後、肉体のみ昇天)が法王ピウス2世によって宣言された。
A.D.1965年マリアは、法王ヨハネ6世によって「教会の母」と宣言された。
父(父性)の排撃によってバビロン化してゆく旧統一教会
お父様のみ言とイエス・キリスト聖書には、父の御力がみなぎっている
ヨハネの黙示録17章11節~46節【新改訳聖書2017】
11、また、昔はいたが今はいないあの獣は八番目の王ですが、七人のうちの一人でもあり、滅びることになります。
12、あなたが見た十本の角は十人の王たちです。彼らはまだ王権を受けていませんが、獣とともに、一時だけ王としての権威を受けます。
13、これらの王たちは一つ思いとなり、自分たちの力と権威をその獣に委ねます。
14、彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。」
15、また、御使いは私に言った。「あなたが見た水、淫婦が座しているところは、もろもろの民族、群衆、国民、言語です。
16、あなたが見た十本の角と獣は、やがて淫婦を憎み、はぎ取って裸にし、その肉を食らって火で焼き尽くすことになります。
17、それは、神のことばが成る時まで、神はみこころが実現するように王たちの心を動かし、彼らが一つ思いとなって、自分たちの支配権を獣に委ねるようにされたからです。
18、あなたが見たあの女は、地の王たちを支配する大きな都のことです。」
安倍元首相を暗殺した存在は、ヨハネの黙示録17章12節「あなたが見た十本の角は十人の王たちです。彼らはまだ王権を受けていませんが、獣とともに、一時だけ王としての権威を受けます。」である。私のディープステートの定義の根拠はヨハネの黙示録17章12節である。彼らは王権は持っていないので国家の形態はとらなが、しかし、「獣」とともに一時だけ王の権威を与えられた存在なので、「獣」ととても親和性(性質が似ている)があり、その挙動と所作で神様とキリストを冒涜し、人の心の痛みなど微塵も感じないような、自ら抱えている不安と恐怖を人々にも植え付け支配しコントロールする輩たちだ。
更に彼らの挙動と所作は「一つ思いとなって」とあるように組織的連携をなしている「獣」と親和性のある複合組織であり、合意組織と観ることができる。そして何と驚くべきことにそれらは全て「それは、神のことばが成る時まで、神はみこころが実現するように王たちの心を動かし」とあるように神様のみ意であるということである。ヨハネの黙示録17章17節「それは、神のことばが成る時まで、神はみこころが実現するように王たちの心を動かし、彼らが一つ思いとなって、自分たちの支配権を獣に委ねるようにされたからです。」と書いてある。
イエス・キリストは十字架の後三日後復活された。安倍晋三元首相はお父様も覚えられた日本の偉大な保守を標榜する愛国義人だ。日本を心から愛し日本の国柄を求め歩んだということを私たちははっきりと心に刻んでいる。お父様はあなたをもう一度日本に再降臨させて下さると私は確信しております。ヨハネの黙示録にある「獣」とともに権威を与えられた王達のサタン実体組織は、安倍晋三元首相と父を排撃した抜け殻のようなバビロン化した旧統一教会をペアにして意義付けし葬り去ったが、安倍晋三は別な体を纏い復活します。神様とお父様を心から愛する食口の皆さん、そこはやがて消えます、あなた方一人一人が神様を求め選択し決定し復活して下さることを心から祈っております。そして最も驚くべきことは2000年前既にこのことが預言されていたということです。アーメン、アージュ!
先月3月29日モスクワのロシア連邦保安庁の近くで、大統領専用リムジンが爆破されたと報道があった。お一人が亡くなったそうです。安倍元首相亡き後自民党は完全に〇国共〇党の日本支部として機能し、〇国から命じられた法律をいくつも作って施行している。今月4月1日から「情報流通プラットフォーム対処法」(情プラ法)を一部改正と言っているが、これはSNSを規制する法律だ。反〇国や反自民の投稿とアカウントが規制をかけられている。その他「食料供給困難事態対策法」が施行されている。この法律は緊急事態時になれば食料供給を国が生産者を管理し供給するというものだ。彼らが想定している緊急事態とは何だろうか。
〇国は全ての国民を管理するために、信用スコア(収集したデータをもとに、全国民を信用度(スコア)を数値化し、賞罰が与えられる制度)を導入し、これを通して行動を道徳的に導こうということだが、その基準を決めているのは共〇党中央政府である。私たちはこのようなことを知ったうえで、誰が私たちの情報を収集し、一体誰が管理し何処に紐づけられているのか観て行かなければならない。マイナンバーも当然その対象と私は考えている。以前某キャリアの〇〇〇センターで働いていたことがあるが、〇ーターは〇国と共有されていた。ご存じのようにアメリカは一枚岩ではなく、今も米国民ではない「獣」と親和性があり、「獣」とともに権威を与えられた複合組織や合意組織達が統治権者の一部として存在している。彼らはお互い情報共有しながら繋がっており、まるでニューロンのように派生しては消え、離合集散し、破壊と創造を繰り返している。そういった意味で、〇国と米国は繋がっているし、〇国も当然一枚岩ではない。
ヨハネの黙示録にある「獣」とともに権威を与えられた王達のサタン実体組織が一番恐れるのは政治的には、殺され、殺されかけ死から復活した三人の一体化ではないだろうか。多くの日本人はほとんど理解していないが、ロシアの正教キリスト者プーチン大統領は、ロシアの国会議員と知事に休暇時に必ず読みなさいと言った三人の哲学者、政治哲学者、思想家の著書を手渡したと言われる。その三人とは、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ベルジャーエフ(ロシア語: Никола́й Алекса́ндрович Бердя́ев, ラテン文字転写: Nikolai Alexandrovich Berdyaev 、1874年3月18日(ユリウス暦3月6日) - 1948年3月23日)、ウラジーミル・セルゲイェヴィチ・ソロヴィヨフ(ロシア語: Владимир Сергеевич Соловьёв、1853年1月28日 - 1900年8月13日)、イワン・アレクサンドロヴィチ・イリイン(ロシア語: Ива́н Алекса́ндрович Ильи́н、1883年4月9日(ユリウス暦 3月28日)[2] - 1954年12月21日[3])ーWikiである。
彼ら哲学者、政治哲学者、思想家に共通しているのは、一時は共産党員であったが投獄されクリスチャンになった方もいるが、神様を恐れ神様を信じ愛するようになった敬虔な正教キリスト者であるり、そしてもう一つ共通しているのは国を愛する愛国者であるということである。
お父様の降臨以降原理によって神様をある程度言語化し、頭で理解できる時代的恵沢を受けれる恵みの時代圏において、体恤信仰によって得られた身体感覚がなければ、形骸化した宗教は必ずカルト化する。体恤信仰に裏打ちされた身体感覚で心に神性を帯び、心の深いところから、お父様は骨髄から湧き出るような情、情感と語っておられるが、これらが無ければカルトは必ず発生する。
カルト化された人達の特徴は、心が神性化されてないため、それを埋めるために口先だけでもということで教義を唱えるが(例えば家庭盟誓を呪文と勘違いして唱えたりする。もしお父様が下賜された家庭盟誓を実現し体恤に向かおうとすれば変えるなどということは出来ないはずだ。)、実感が伴なわなず良くわからないのでますます頑なに良くわからない教義(「韓鶴子氏由来の独生女論」や「韓鶴子氏由来の真の父母論」等、巧みにお父様のみ言の定義を変え、偶像信仰を紛れ込ませた歪な継ぎ接ぎだらけのなおとぎ話)と、情報統制された極端な組織信仰に依存してしまう。そうなればカルト化された人々を利用しようとする「獣」と親和性のある輩によって簡単に支配されてしまう。
しかし、家庭連合の中にもカルト化されず抗う方々がおられるが、真理探求に妥協しないでください。妥協しようとする自らの心と戦って下さい、悩み抗い戦うことが自分自身を鍛え上げ磨き上げ神様から生命力が賜ります。このことを僭越(せんえつ)ながらお伝えいたします。そういう方々に神様は臨まれます、そして私達は、私に臨んで下さった神様を了解し受け入れるだけです。反面、「獣」とともに権威を与えられた魂で偶像を売り、地位とお金に溺れたり、お父様を排撃した器、箱、ドンガラの韓国清平に行ったとしても、聖酒を何杯飲んでも神様は臨まれないと断言します。
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