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「獣」達の時代とその終焉

キリスト教聖書解釈学では、聖書の解釈は、基本聖書内の記述からするという原則を踏まえて解釈された「獣」は国家を表しており、その解釈の基礎になっているのがダニエル書7章4~7に登場する「獣」である。その上で、『「獣」達の時代』とは、聖書全般に出てくる「獣」という記述が伝える...

深刻な「バカの壁」症候群

天の父母聖会に立ちはだかるバカの壁

ヨブ記38章1節~2節

1、この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた。
2、無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするものはだれか。

ヨブ記38章4節~7節

4、わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
5、あなたが知っているなら、だれがその度量をさだめたか。だれが測りなわを地の上に張ったのか。
6、わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
7、その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。
2003年に養老孟司氏が書いた「バカの壁」は平成で一番売れた本で430万部以上現在まで売れている。いろいろ書かれている中で、特に気になったのは、「人は知りたくないことに耳を貸さず情報を遮断する傾向がある」という点で、養老氏はそれをバカの壁と呼んだ。

例にもれず私にもバカの壁がある。救いは「私にはバカの壁がある」ことに気付けたことである二代王様も言っておられるが、キリスト教にはメタノイアがある。「悔い改め」であり、それによって「視座が変わる」ことだ

以前日本の大企業の創業社長がある対談で語っていた言葉を思い出す。「人間は人生の中で変われるチャンスが巡ってくる。が、しかし、それはその人にとっては必ずしも喜ばしい形では来ない。その代表的なものは、監獄を経験する、大病を患い死線を彷徨う、全財産を失う、最も信頼する人に裏切られることだ」と言っていた。神様はそういったことを、その人の救いのために与えられる。

経済理論で「観察の理論依存性」というのがある。これは、ファクトやデータをどう見るかは、その人の拠って立つ理論や理念、或いは信念によって出る結論が違ってくるという理論だ

また、全体性や統合する力が欠落すると、全てはばらけて断片化する。「合成の誤謬」がそうだろう。末端(抹消)に合理性があったとしても全体を統一的に見たときに致命的な誤りが出たりもする

例えば日本の財務省は、数十年間緊縮財政を行った結果、20年以上経済成長が無くなってしまった。この日本財務省思考と行為は、典型的なバカの壁であり、結果合成の誤謬を引き起こしてしまった。恐らく日本はもう二度と豊かな富と、高い技術を得ることは困難であろう。

更に、教育に至ってはまともな状態にしようとすれば、数百年単位の時間が必要になるかもしれない。では「バカの壁」症候群を患っている人達は悪い人かと言えばどうやらそうではないらしい。むしろ真面目で善良な、能力の高い人たちが意外と多いのには驚く

第二次世界大戦中アウシュビッツ収容所で数百万人のユダヤ人が虐殺されたが、この収容所の所長をしていたのがアドルフ・アイヒマンだ。彼は1960年イスラエルのモサドに捕まり裁判にかけられるが、その過程で彼を調べてみると、彼は「反ユダヤ主義者」でもなく、ヒットラーが書いた「我が闘争」を読んだこともないという、ただの真面目な「小役人」だったそうだ。

ハンナ・アレントは「悪の凡庸」という概念で、アウシュビッツ収容所所長アイヒマンを称した。これは、ユダヤ人にとって悪逆非道な“悪魔”そのものであるはずのアイヒマンを、彼女(ハンナ・アレント)は、上からの命令に忠実に従う官僚組織の歯車となった平凡な小役人でしかなかった事実を、唖然として受け止めたものだった。

韓鶴子氏の「独生女」理論、主客転倒型非原理モデルを何ら悪びれず、無知蒙昧に無邪気に主張している様は、まさに「悪の凡庸」さのアイヒマンに似ている

ではこの罪が聖書の黙示録にもその存在が出てくるほど何故大きいかと言えば、韓鶴子氏、貴女は一時的とはいえ主が最も愛した方であり、歴史的な大きな勝利権を主は貴女を絶対的に愛し、絶対的に信じ、貴女を立てて行ってきた。その主があなたに注いだ全てを裏切った罪は余りにも重たいからだ。今全人類に降り注いでいる罪過の代償を見ればわかる

前出のハンナ・アレントは、個人がどんなに真面目で善良であったとしても、ヒットラーという悪魔に使えれば全く話が違う。その自覚なき所業が凡庸であったとしても悪魔と一体の行為になり、罪に加担したことになると言っている。

天の父母聖会信徒諸君、悪の凡庸な中間管理職に惑わさることなく、「バカの壁」に早く気付き脱出すべきだ。これから予想されることは、天の父母聖会という組織的な艱難にとどまるだけではなく、一人一人に艱難が訪れる。それはあなた方を苦しめる為ではなく、脱出を助けるための神様の愛であることを理解すべきだ

天の父母聖会信徒諸君、もう一度深く考えて見てはどうか?我が国が生んだ歴史的な偉大な政治家安倍晋三元首相が暗殺されて一年がたとうとしている。

山上被告単独犯ではないのが明らかになっている。出版物も続々と出てきている。この一年異常な状況にもかかわらずマスメディアは一切報道していない。何と山上被告の公判は来年からでないと始まらないという異常な状態だ。

中田 健二 著「安倍元首相を狙撃したのは本当に山上なのか?」は、アマゾンからKindle版で出ていて百円で購入できる。科学的で客観的調査報道が出ている。


高田純 理学博士 著「奈良の変」の入手は、高田純 理学博士のTwitterをフォローし直接博士に申し出れば、僅かなドネーション(donation)で送ってもらえるらしい。因みに高田純博士はこの本の出版にあたり、20社以上の出版社に依頼をかけたが、すべて断られたそうだ。何故だろうか?


いずれにしても、今世界で起こっていることを統合してみると見えてくるものがある。そして「安倍晋三元首相暗殺事件」は世界的な艱難の象徴的な出来事だ。天の父母聖会はただスケープゴートにされただけであり、あなた方はやがてきれいに消えるだろう

ではそれを許された方は誰なのか、安倍晋三元首相を犠牲(世界的な燔祭)にしてまでも何故あなた方は世界的な立場でうたれているのか考えたことがあるのか。旧約時代から神様が受け取られる燔祭は、「雄」であり、「男」であり、最も尊いものである

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