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ヨハネの黙示録預言の成就と韓鶴子総裁

ヨハネの黙示録17章1節~7節【新改訳聖書2017】 1、 また、七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来て、私に語りかけた。「ここに来なさい。大水の上に座している大淫婦に対するさばきを見せましょう。 2、 地の王たちは、この女と淫らなことを行い、地に住む人々は、この女の淫行のぶどう酒に酔いました。」 3、 それから、御使いは私を御霊によって荒野へ連れて行った。私は、一人の女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神を冒瀆する名で満ちていて、七つの頭と十本の角を持っていた。 4、 その女は紫と緋色の衣をまとい、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものと、自らの淫行の汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。 5、 その額には、意味の秘められた名、「大バビロン、淫婦たちと地上の忌まわしいものの母」という名が記されていた。 6、 私は、この女が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。  私はこの女を見て、非常に驚いた。 7、 すると、御使いは私に言った。「なぜ驚くのですか。私は、この女の秘められた意味と、この女を乗せている、七つの頭と十本の角を持つ獣の秘められた意味を、あなたに話しましょう。 ヨハネの黙示録17章8節~17節【新改訳聖書2017】 8、 あなたが見た獣は、昔はいたが、今はいません。やがて底知れぬ所から上って来ますが、滅びることになります。地に住む者たちで、世界の基が据えられたときからいのちの書に名が書き記されていない者たちは、その獣が昔はいたが今はおらず、やがて現れるのを見て驚くでしょう。 9、 ここに、知恵のある考え方が必要です。七つの頭とは、この女が座している七つの山で、それは七人の王たちのことです。 10、 五人はすでに倒れましたが、一人は今いて、もう一人はまだ来ていません。彼が来れば、しばらくとどまるはずです。 11、 また、昔はいたが今はいないあの獣は八番目の王ですが、七人のうちの一人でもあり、滅びることになります。 12、 あなたが見...

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アモス書3章7節【新改訳聖書2017】

7、まことに神である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者にたちに示さずしては、何事もなさらない。

Googleは〇〇〇ステートの1丁目1番地、これは彼らからのアンサーだ。私は確信が信念になり抗う力が闘志に変わる。恐らくこれは警告的な意味もあるだろう。冒頭引用したアモス書3章7節は、神様はこれからなされることに絶対的な責任を持っておられるがゆえに、必ず預言者に語らせる。預言は神様から託され預かった神様のみ言を意味し、聖書に記されている預言が成就しなかったことはない。

現代において預言者らしき人物を見つけるのは難しい。イエス・キリスト以降予言者的人物がいたことはいたが、神様のみ言を託され預かった預言者は現れてこなかったと私は理解している。ではそれは何故か、イエス・キリストによるみ言こそが神様のみ意(こころ)を表している最高のものであって、それ以外のものは逆に神様のみ意から人間の判断を的外れな方向に導いてしまう。

20世紀最大の予言者と称されているエドガー・ケーシー氏は、敬虔なクリスチャンであり、彼の予言には聖書のみ言がふんだんに引用されている。日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田秀(しげる)氏は、エドガー・ケーシー氏の著書を翻訳された時、彼の予言を理解するためには、聖書理解が必須であることを悟り、聖書の学びから入ったことを話されていた。

神様のみ意(こころ)が露になる現代とは、多くの方達に天啓が降りてくる時代であり、再臨主によって下賜された真理を中心に世の中を観れば、全て隠されていたことが露にされる時代だと理解している。具体的には感知した情報から真理というフィルターを通してみれば本質が観えてくる時代だと理解している。

また時代の兆候は、情報をもたらしてくれる方々が、宗教的背景がなかったとしても、例えジャーナリストであったり、無神論者であったとしても、また自然現象や社会現象までも含めて、それらがもたらす情報を読み込む主体が、超感覚的なフィルターを通せば本質は必ず感じ取れて、感じ取ったものが実感となりやがて確信へと導かれ、更に信念としてその方自身の中に現れる。

日本の政治家が〇〇事件でお亡くなりになった。今月4月9日、この〇〇事件を取り上げた直後に、このような通知が届いた。今SNS等でもフォロワー剝がしが愛国保守の方々に頻発していると聞いている。これにはある共通の特徴がある。多くの愛国的保守の方々が言っている共通した特徴とは、必ずある事柄に触れた時に起こっているいる事だ。その共通的特徴は、日本を売り渡すことに抗った時にこの現象は起きている事だ。
5月1日にデータが消えなければそのままこのGoogleのbloggerツールで継続し投稿するが、消えた場合は違うツールから発信するので、今まで当ブログを閲覧していただいている方には継続して見てい頂きたい。

これは事実上の退去命令なので私は出てゆくが、しかし感謝している。とても感謝している。文鮮明真のお父様(以下愛と尊敬を込めて”お父様”と記述)は、「打たれて奪う」という表現を使い、サタンは打たれる理由もないものを打てば、逆にサタンの所有のものを奪うことができると言われた。この言葉の意味は、正しいものを迫害すれば、迫害した者自らが滅びの道を行くということを言っている。このことは、目に見える合理性だけではけっして理解できない言葉だが、真理である。

 目に見えて、肌身で感じることの出来る身体感覚

終末時代、艱難時代、神様のなされるみ業は華麗で美しく、大変力強い。その根源的な源は愛であり全ての理(ことわり)がここにある。今の時代の理解はそんなに難しくなく、ただそれが現れているだけだとつくづく実感する。

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