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十字架は、キリストの情熱による驚異的選択である

ルカの福音書19章41節~44節【新改訳聖書2017】 41、 エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて、言われた。 42、 「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。 43、 やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、 44、 そしておまえと、中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。」 ローナ・バーン著「奇跡のエンジェルコンタクト」からの抜粋   数百人にものぼる天使たちが、イエス様の周囲を円で取り囲んでいました。大天使たちは、内側のサークルを形成し、それがいちばん彼に近い所でした。気が遠くなるくらいの無限といえる数ほど大勢の天使たちがそこにいるのを、わたしは目にしたのです。天使たちもわたし同様に、あの時イエス様をきっと助けたかったに違いありません。 あの時の天使たちの気持ちが、わたしにはよく伝わってきました。  わたしはあの時、ミカエルに言いました。「あなたたち天使全員が、この出来事にとても心を痛めているに違いないよね..........」  そう言ったあとミカエルを見上げたとたんに、彼はこう言いました。「ローナ。我々は、愛のみの存在なのだから、傷つくことはない。たとえ神が自分を見捨てたかのようにイエス様が思えたとしても、ここにいるすべての天使と大天使たちは、彼に力を与えるために愛を注ぎ続けているのだ。 彼の父である神様はここにいるすべての大天使と天使たちを遣わして、自分がどんな存在であるか、さらには、人類のためにこれを彼がやり遂げねばならないことを、イエス様に思い起こさせているのだ。神様が創造したすべての天使たちは、もうとっくにイエス様のために身代わりなることを願い出たのだ。私自身もそうしたが、 神様はそれをお許しにならなかった」 「イエス様には、天使たちが見えるの?」とわたしが訊ねると、「いいや、ローナ。彼には我々の姿は見えない」とミカエルは答えました。こ...

東京は目覚めた

文鮮明先生御言選集 19840720 - 一つになりましょう1984年7月20日

 -祈祷- 愛するお父様、きょう一九八四年七月二十日、午後六時四十四分、この時間を期してイーストガーデンを出発いたします。これから子女たちと共に全体を代身して、お父様の前に一つの十字架を背負って行きますので、お受け取りください。

 長い摂理路程は、善なる人々が蕩減の道を歩んで、いつも打たれて奪ってくる作戦でありました。個人から始まって今日の世界に上ってくるまでに、アベルの役事を受け継いだ宗教界が数多くのカイン世界の主権者の前に打たれる毎に、悲惨なる立場で傷ついてきたのですが、その基盤を通して、蕩減の道を急がれて来られたことを知っています。

 打たれて奪うのは神様の御業

死人を復活されるのは神様の御業。東京にアベル的人達が終結した。一般的に見るならば何の落ち度もない人生を歩んでいた人たちが、突然命を奪われ、親を亡くし子どもたちが命を奪われた。こんな不条理なことはない。しかし、それによって、多くの犠牲を出しながら私たち同胞は目覚めることができた。本当にありがとう、神様とキリストはあなた方を抱かれる。イエス・キリストの教え「死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。............」(ルカの福音書9章60節)を文鮮明真のお父様はこの様に解説された。

「サタンの主管圏内に留まっている人々」は「死人」であり、イエス・キリストが「死人」と呼んだその深い意味は、霊的に死んでいるという意味で、例え肉体は生きていたとしても霊的に目覚めていない、神様が働きたくとも働けない人たちのことを言っていると教えて下さった。

日本人は良心基準も高く、道徳的にも高い精神性を持った、例え身分的に低かったとしても、精神的高潔さを旨とする民族である。しかし、本当に残念なことは神様が分からないことだ。名も無く逝った人たちを鎮魂する儀式のように、多くの人たちが集まった。名も無く逝った人たちの復活の叫び、キリストによって霊を蘇生された人たちが一斉に霊界から降りてきているがごとくに集まった。

 サタン主管のデモから神様主管のデモへ

60年代から70年代にかけて、サタンは学生たちを主管し激しい学生運動が日本中に吹き荒れた。今回はまるでサタンがかつて行った悪行を反転させ、神様はアベル的人達を日本人の中から選び出し、サタン主管から奪って集めたと私は理解している。



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